『GENZAICHI』ゲンザイチ-No.001

『GENZAICHI』ゲンザイチ-No.001 山谷有美さん
将来の夢へと向かう学生たちに、学ぶことの面白さや臆することなく新しいことにチャレンジできる環境。さらに人や社会とのつながりをもつことの大切さを教えてくれる『総合学園ヒューマンアカデミー』。同校で学び、卒業した先輩たちの中には著名な企業や業界の第一線で働く先輩も多くいる。ただ実際に生の声を聞く機会は少ない。そこで、『ゲンザイチ』では、同校の卒業生(しかも卒業後10年以上!)にスポットライトを当て、本人の“現在地”を紹介していきます。

 

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●プロフィール
山谷 有美さん Yumi Yamaya
総合学園ヒューマンアカデミー名古屋校
スノーボードカレッジ インストラクター専攻
2005年卒業
勤務先:PSA ASIA事務局(Pro Snowboarders Association Asia)
仕事内容:スノーボード大会の運営、事務等
モットー:選手、観客、スタッフの為に何でもします
座右の銘:頼まれたら断らない
趣味:カフェめぐり、旅行

 

 

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『大会を通じてスノーボードの魅力をもっと広く発信したい
インストラクター志望から始まった夢は、その先へ』

 

シーズン中は鬼の忙しさ、

各地の大会を転々とする

 

GENZAICHI大会期間中は設営や運営、(賞金管理を含む)表彰式の準備やリザルトなどの作業に追われるという。

 

プロ・アマ問わず、冬季には日本各地のゲレンデでスノーボードの競技大会が開催される。オリンピックでもお馴染みのハーフパイプをはじめ、スラロームやスロープスタイル、ジャンプにスノーボードクロスなど種目はさまざま。大会にはトップを狙うプロ選手や、実績を積んでプロを目指すアマチュア、あくまで愛好家として楽しむ人たちも参加する。新型コロナウィルスの影響で厳しい状況ではあるが、2021-2022年のシーズンはしっかりとした感染対策の下、数多くの大会が安全に行われた。

 

GENZAICHI屋外競技とはいえ、コロナにおける感染対策を十分行い、大会は開催に至った。

 

「その内、私が携わったのはプロ戦が17、アマ戦が23。合計40の大会です」と山谷さん。彼女はPSA ASIA(Pro Snowboarders Association Asia)の事務局長という身でありながら、PSA ASIAのプロツアーだけでなく、JSBA(日本スノーボード協会)公認のアマチュア大会でも運営スタッフとしても活動している。

 

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ちなみにスノーボードの大会が行われるのは、1月中旬~4月初旬までの80日間くらい。つまり山谷さんは2日に1回、大会に足を運び、働いていたという計算になる。その大会も、もちろん同じゲレンデでやるわけではない。今日は兵庫の氷ノ山、明日は長野の高井富士、その次は岐阜の鷲ヶ岳と、県をまたぐ移動も当たり前。荷物を満載したクルマを自分で運転して行くのだという。

 

 

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「競技環境を整えられる期間は短く、大会はどうしてもそこに集中してしまう。だからシーズン中はほぼ休みなしで、家には1ヶ月に1度、帰れたらいい方ですかね(笑)。基本的には大会開催地近くの宿泊施設を転々とする生活になります」。

 

 

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運営スタッフとしての仕事は多岐にわたる。主催者やゲレンデとの打ち合わせや日程調整。タイムスケジュール作成。スポンサー探し。テクニカル・スーパーバイザー、公認旗門審判員、ジャッジといった資格を持った人員の確保。現場では選手やその保護者たちへの対応、弁当の手配、表彰式の準備、本部の設営・撤収まで手伝う。さらに山谷さん自身、タビュレーター(タイムの計算やジャッジスコアの集計などをする係)の資格も持っているので、それを兼務することも多い。

 

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「とっても大変ですが、表彰式で選手たちの笑顔を見ると、頑張ってよかったなって思えるんですよね」。

 

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高校を卒業して就職するも、

スノーボードの夢は諦めきれず

 

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山谷さんはもともとスノーボードのインストラクター志望。ウインタースポーツ好きの両親の影響で、小さい頃から雪山でスキーを楽しんできたが、小5でスノーボードを始めると、そこから一気にハマった。地元・静岡の高校を卒業後、一旦は就職の道を選んだものの、「やっぱりスノーボードの楽しさをもっと広めたい、と思って。それにはまず私がみんなに教えられる立場になる必要があると考えて、そういう学校を探し始めました」。

 

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新潟にある専門学校に行くか、思い切ってカナダに留学するか。悩んでいた時、ヒューマンアカデミー名古屋校の開校、そしてスノーボードカレッジが開設されることを知る。名古屋なら静岡から通える! そんなメリットにも惹かれ、インストラクターコースを選んで名古屋校の門を叩く。

 

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「現在、名古屋校からはスノーボードカレッジ自体なくなってしまいましたけど。当時はインストラクターコースのほかに、プロコース、ビジネスコースとあった。今の仕事ならビジネスコースが良かったかもですが、その頃はインストラクターになる気まんまんでしたから」。

 

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学費はぜんぶ自分でなんとかするという両親との約束。そしてスノーボードを続けるためにも、とにかくお金が必要になる。いくつもアルバイトを掛け持ちしながら学校に通い、課題にも熱心に取り組んで、1年半のコースを無事修了。山谷さんのガッツは、きっとこの頃から鍛えられていたに違いない。

 

 

インストラクターとして、

働きながら大会を手伝い

 

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実は在学中、長野県・白馬乗鞍での実習で知り合ったヒューマンアカデミー大阪校の講師に、「山谷さんはPCスキルもあるし、卒業したら大阪校で働いてみる?」と誘われていた。「それで夏はヒューマンアカデミー大阪校で受付や講師として働いて、冬は白馬乗鞍のスノーボードスクールでインストラクターをやるという日々が始まりました。そのうちに大会の手伝いにも呼ばれるようになったんです」。

 

GENZAICHIイベントには多くのKIDSも参加。将来は平野歩夢さんや冨田姉妹、竹内智香さんのように世界と戦い、メダル争いをするかもしれない、いや、してくれるハズ!

 

そこで知り合った人から、今度は別の大会にも手伝いに来て欲しいと頼まれ、その先でまた別の人と繋がり…といった感じで人脈も拡大。徐々に大会に関わる仕事が増えていった。
山谷さんがインストラクターになったのは、スノーボードの楽しさを伝えていくため。大会の運営に携わることで、直接ではなくとも、より広く、多くの人にスノーボードの魅力をアピールできるのではないか。そんな思いもあり、軸足をインストラクターから大会運営へと移していく。

 

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「普通にインストラクターをやっているだけでは、今の仕事はできていなかったと思います。業界では『ヒューマン卒業生=大会運営できる人』という認識で通っているので、大した知識や経験もなかった私を運営に呼んでもらえたのは、そのネームバリューのおかげもあったと思う。現場でも自然と一目置いてもらえるというか、すんなり馴染めたんです。その点では本当にヒューマンアカデミーで良かったなと実感してます」。

 

 

プロ戦をもっと盛り上げ、

業界発展に繋げていきたい

 

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山谷さんが勤務するPSA ASIAは、アジアエリアの各国協会が公認するプロ競技団体。北京五輪金メダルの平野歩夢選手をはじめ、一流のプロスノーボーダーたちが名を連ねる選手会である。アマチュアの大会運営には15年ほど携わってきた山谷さんだが、PSA ASIAの業務を本格的に始めたのは3年前。そして現会長の誘いを受けて事務局長に就任したのが昨年のこと。そういう意味では、彼女のキャリアはまだこれからともいえる。
「プロ団体といっても、そんなに資金が潤沢にあるわけではありません。大会の主催者やスポンサーを探したり、多くの人を呼べるような内容にしていかないと運営していくのは難しい。参加する選手たちも、それを見に来る観客の方々も、みんなが楽しめるような大会にしていかなければと考えています」。

 

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コロナ禍ゆえ、人を集めるという仕事にはジレンマもある。しかし感染対策も確立されつつあり、十分に気をつけながらもやっていこうという風向きになってきた。野球やサッカーといったスポーツでもそうだが、プロが盛り上がればアマチュアの競技人口も増え、業界の裾野が広がる。インストラクター志望から始まった山谷さんの夢は、今そこへと向かっている。

 

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「この仕事をやってきて、辛いと感じたことは100万回くらいありますが(笑)、やめたいと思ったことは一度もない。スノーボードが好き、ウインタースポーツが好きといってくれる人をもっと増やしていくためにも、これからも力を尽くしていきます」。

 

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先輩から後輩へのアドバイス

「私が今、ヒューマンアカデミー時代に戻れるとしたら、他のカレッジの学生たちともっと交流したいですね。そこで作られたコネクションが、きっと仕事を始めてから生きてくるからです。たとえば、もしデザインカレッジの人たちと付き合いがあったら、ポスターとかパンフレットのお仕事を頼んだり、相談できると思うので。社会に出てからも人との繋がりはできますが、学生時代に繋がった人というのはまた特別。ぜひ、学びながらもいろんな人たちと仲良くなって欲しいなと思います」。

 

Photo:内田 俊輔
Text:佐藤 知範
Editorial:賀川 真弥