『GENZAICHI』ゲンザイチ-No.003

『GENZAICHI』ゲンザイチ-No.003 花岡大真さん
声優・俳優、ゲーム、音楽、動画、マンガ・イラスト、デザイン、IT、スポーツ、ビジネス、フィッシング、ヘアメイクなど。多岐にわたるカレッジの中で、各業界と連携した実践的なノウハウを学び、即戦力となるスキルを身につけられるのが総合学園ヒューマンアカデミー。学生たちはやがて社会でそれぞれの道を歩んでいくわけだが、具体的にはどんな職場でどんな仕事をしているのか? 卒業から10年以上を経たヒューマン出身者たちの“現在地”を、本人のインタビューと共に紹介する当企画。第3回目は、大阪校のスポーツカレッジでダイビングを専攻していた花岡さんをクローズアップ。現在、沖縄県に在住ということで、インストラクターなどマリンスポーツ系の仕事をやっているのだろうと思いきや…。

 

GENZAICHIGENZAICHIGENZAICHIGENZAICHI現在は沖縄在住の花岡さん。現地ではテントサウナ事業、ログハウスの建築などに携わりつつ、休日にはマリンスポーツ(主にシュノーケリング)を楽しんでいるという。

 

 

●プロフィール
花岡 大真さん DAISHIN HANAOKA
総合学園ヒューマンアカデミー大阪校
スポーツグカレッジ ダイビング専攻
2004年卒業
勤務先:フリーランス
仕事内容:映像クリエーター、音楽イベント運営、アクティビティ事業etc
モットー:頼まれたら引き受ける、どこへでもマメに顔を出す
座右の銘:なんちゃなる
趣味:仲間とごはん、シュノーケリング

 

 

 

GENZAICHI撮影日はNo.002で紹介した花野さんと同日午後。同窓会メンバーも立ち会い、久しぶりの再会に終始和気藹々とした雰囲気で取材は進行。

 

GENZAICHI取材場所を提供して頂いた総合学園ヒューマンアカデミー大阪校には、花岡さん自身が以前勤務していたこともある。久しぶりの母校を懐かしんでいた。

 

バイタリティ溢れるマルチなフリーランス
幅広いフィールドを縦横無尽に駆け回る

 

動画を作りフェスを企画してログハウスを建てる!?

 

 

GENZAICHI以前制作した音楽系の映像を見せてくれた花岡さん。現在、さまざまな職種に携わるが、総合学園ヒューマンアカデミーにて講師として在籍していた頃はスポーツ系(主にダイビング)以外に映像・編集も教えていた。

 


「どんな仕事をしているの?」と聞かれると、答えは長くなる。動画の撮影・制作をはじめ、音楽イベントの企画・運営、フリースクールの講師、飲食店経営、日本酒の販売、アプリ開発など。さらに最近は観光客向けのテントサウナレンタル事業の準備をしながら、ログハウス作りまでやっているところなのだ。とてもひと言ではいい表せない。

 

 

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「あえてメインに挙げるなら映像系ですけど、何でもやりますよ。基本的に頼み事をされたら断れない。相手に喜んでもらえたら自分も嬉しいし、誰かと一緒に仕事をするというのが好きなんです。それで気付いたら、いろいろ幅広くやるようになっていました」と花岡さん。

 

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生まれも育ちも関西だが、1年ほど前に思い立って沖縄へ移住。そこで前述のようなウルトラマルチなフリーランスとして、日々さまざまな業務に取り組んでいる。

 

「毎日のタイムスケジュールはバラバラで、休みの日も安定しません。ですが、例えば1つの仕事が不調になっても、ほかのことでカバーできるのが強み。それに違った仕事を挟むことで気分もリフレッシュでき、新たなアイデアが浮かんでくることもあります」。

 


あらゆることに興味を持ち、フットワーク軽くどこへでも顔を出す。困っている人には積極的に力になり、頼まれたらNOといわないホスピタリティもモットー。こうした姿勢は、花岡さんがヒューマン時代から貫いてきた人生哲学ともいえる。

 

 

スポーツカレッジ卒業後、そのまま母校の講師に

 

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総合学園ヒューマンアカデミー大阪校・スポーツカレッジでダイビング専攻コースを選んだのは、「海の近くに住みたい」という漠然とした理由から。中学・高校とずっと野球一筋だった花岡さんにとって、美しい海やサンゴ礁を連想させるダイビングという響きは魅力的だったのだ。なお、当時はダイビング未経験。

 

GENZAICHI教室はその年度や授業、クラスによって変わっていくもの。久々に訪れた校舎は懐かしくも、今まで“そこにあったモノ”がなくなっていたりと、その時代の変化も感じていた。

 

「ところが入学してみたら、クラス担任はボブサップみたいな見た目のゴリゴリ体育会系。ただダイビングの技術を教えてくれるというよりは、ダイビングを通じて生き方すべてを叩き込むタイプの先生だった。人との接し方や礼儀作法まで含め、厳しく指導していただきました。授業自体は楽しかったけど、寒いとかキツイとか、そういった思い出も多いですね」。

 

 

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卒業後はダイビングショップ勤務がほぼ決まっていたが、就職前にその店のオーナーと話してみるとまったくウマが合わないことに気付き、内定を辞退。仕方ないのでフリーのインストラクターになろうかと思っていたところ、例のボブ先生に「甘すぎる」と怒られ、学校に残って講師になる道を勧められた。
「1年目は非常勤、2年目からクラス担任になりました。ですが3年でダイビング専攻がなくなってしまい、以後はスポーツトレーナー専攻のクラス担任になり、他のカレッジでも授業をするなど、14年半にわたってヒューマンアカデミー大阪校で働かせてもらいました」。
この頃からマルチっぷりを発揮。例えばフィッシングカレッジではアウトドア概論や気象海象学を、ミュージックカレッジでは映像編集を、マンガカレッジではギリシャ神話にまつわる講義を行うなど。さらにスノボカレッジでPCスキルを教えたり、通信制高校のヒューマンキャンパス高校でも教鞭をとったという。

 

 

働きながら様々なスキルを学び、再就職。そしてフリーへ

 

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大阪校で講師として忙しく働きながら、自らも学び、新しいことへの挑戦にも貪欲だった花岡さん。デザインカレッジの先生と仲良くなったことがきっかけで、独学でグラフィックデザインの勉強を始める。またミュージックカレッジの講師仲間には「映像もやってみたらどう?」と提案され、音楽系の映像を手掛ける事務所を紹介してもらった。

 

 

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「夕方までヒューマンで働いて、そこから映像の事務所へ。夜中の3時頃まで勉強させてもらって、そのまま泊まって朝からまたヒューマンへ。そんな生活を1年くらい続けていました。大変そうに思えるかもですが、体力的にはダイビング専攻で講師をやっていた頃の方がずっとキツかった。詳しくは割愛しますけど(笑)、その経験があったから頑張れたというのもあります」。

 

 

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そのほか、プライベートでも親しかったミュージックカレッジの先生と野外フェスの運営をやってみたり、ゲームカレッジやITカレッジの先生にプログラミングを教えてもらったり。そのスキルを生かし、ヒューマンキャンパス高校では管理業務のためにシステムを組み上げ、運用までしていたという。

 

 

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「在学中はほかのカレッジと交流はほとんどなかったのですが、講師になってからは関わり合う機会が増え、多くのことを学ぶことができました。分からないことはその道のエキスパートである同僚にすぐ聞けるので、知識やスキルを得るには最高の環境でしたね。ある意味、学生時代よりも勉強していたかもです」。

 

GENZAICHI久々の来阪ということもあり、取材日夜はクラブで仲間と交流を深める予定とのこと。もちろん今後の仕事にも繋がる新たな出会いがあるかもしれない。

 

やがてITに強い興味を持ち、2019年にヒューマンを退職してITベンチャーに就職。が、わずか1年で倒産という憂き目に遭う。「ということで、フリーでイベントの企画やWEBサイト制作といった仕事をやっていたところ、ヒューマンアカデミーで映像の事業を始めるから手伝って欲しい、と声をかけてもらったんです」。

 

古巣での仕事に加えて、次々と新たな事業に携わる

 

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再びヒューマンアカデミーで働くことになったが、今度は専属ではなくフリーランスとして映像コンテンツ制作を請け負う。「授業の様子を撮影して分かりやすく編集。学生たちが欠席した授業をチェックしたり、効率よく復習できるような動画を制作しています。近頃はコロナの影響でオンライン授業も増えているので、ZOOMで行ったデータをまとめることも多いですね」。

 

 

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ヒューマン以外ではライブ配信のディレクションをしたり、スマホアプリのプロモーション映像を作ったり、STAR FESTIVALといった野外フェスの運営をするなど。また音楽関係の仲間たちと「クラブで出せるお酒があったら面白いよね」と、日本酒を製造・販売も企画。

 

 

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花岡さんが仲間とプロデュースした日本酒・TOJI。「甘口なのにスッキリしていて飲みやすく、日本酒に慣れていない方にもオススメです。機会があればぜひお試しを」。

GENZAICHIクラブの倉庫を改装して居酒屋としてオープン。店名はオリジナル日本酒と同じTOJIだ。スタッフがヒューマン卒業生ということもあり、関係者たちの憩いの場にもなっている模様。

 

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「お酒を作るにはきちんと保管場所を用意しないと許可が降りない。それで顔なじみのクラブの倉庫を借りることになったんですが、片付けてみたら意外といい感じで。お店を開けるんじゃないということで、ミュージックカレッジの先生と居酒屋をオープンしました。沖縄へ引っ越してからはほぼおまかせ状態ですが、大阪にいる時はキッチンに立って唐揚げを作ったりしてましたよ。今はヒューマンの卒業生たちにも働いてもらっています」。

 

 

GENZAICHIダイビングインストラクターの資格を持つが、沖縄に移住後はまだ1本も潜っていないという。「シュノーケリングで満足しちゃうんですよね(笑)。あと、サーフィンを始めました」。

ちなみに沖縄へ移住したのは、海外旅行中に知り合ったYouTuberに誘われて。「沖縄でツリーハウスなどを作っている方。一緒に沖縄で面白いことをやりましょう! と意気投合したんです。今、ボートやシュノーケリングといったマリンアクティビティの事業を共同で行っています」。

 

 

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それとは別口でテントサウナレンタル事業も準備中。2022年中の稼働を目標に準備を進めているという。「時間のある時は沖縄のフリースクールで子どもたちに勉強を教えたり、海に連れて行ったりとか。

 

 

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ほかにはログハウスを作るために大工仕事もやっているんですが、それもすごく楽しいですね。また沖縄での野外フェス開催や、3Dプリンターを使った新たな建築事業も友人と計画中です」。

 

 

人との繋がりを大切にし、それをフルに生かして働く

 

こうした花岡さんの仕事は、幅広くバラエティに富んだコネクションがあってこそ。自身もかなり多才なのだが、さすがに1人で何でもできるわけではない。だが、「この人に頼んだら何とかなりそうだ」という心当たりがあるから、どんなことにもYESと引き受けられるのだ。

 

 

GENZAICHI

 

「時には引き受けてから『アカン!』となることもありますが(笑)。まあ、なんとかなります。多くの人と関わり合い、手を取り合って目標を実現する。それが僕の仕事であり、やりたいこと。実際は手伝っているつもりが、いろんな人に助けてもらっていることも多くて、だからこそ人と人との繋がり、人脈は大切にしています」。
もともとフランクで年齢や男女問わず、誰とでも仲良くなれる性格だが、自分からガンガン話しかけるようなタイプではないという。
「それでも昔から、何かしらの集まりがあると聞いたら、できる限り顔を出すようにしています。今どきはそういう付き合いが苦手な人も多いみたいですが、ぜんぜんしゃべれなくてもいいし、無理に誰かと仲良くならなくてもいい。その場にいるだけでいいんです。もしそこで会った人と次に顔を合わせた時、初対面よりはスムーズに話せますから。後からそうしたことが重要になってきたりします」。

 

今後もやりたいことは沢山あるそうだが、大ざっぱにいうと「みんなが楽しめる何かを作る」が目標。

 

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「沖縄は夏は遊ぶところが沢山ありますけど、冬は思いのほか少ないんですよ。だから今進めているテントサウナレンタルも、冬にも楽しめるアクティビティとして考えました。旅行がてら会いに来てくれる仲間もけっこういるので、どんな時でもおもてなしできたらいいかなと。常に前向きな気持ちでこれからもチャレンジしてきたいです」。

 

 

 

先輩から後輩へのアドバイス

 

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「何でも失敗を恐れずに挑戦してみることですね。そしてやると決めたなら、ひと通りやり切ったと思えるまで続けた方がいい。興味があっても、実際にやってみたら自分に合わないこともある。だけど頑張って続けてみたらハマることだってあるんです。中途半端にやめてしまうとその可能性にも気付けませんから。若いうちはなんぼでも修正はきく。一度ダメでも、その失敗を糧に二度三度とやり直せばいいんです。あとはやっぱり人との繋がりも、面倒くさがらずに大事にして欲しい。今すぐではなくても、のちのち大きな力になるはずです」。

 

 

Photo:上新庄写真センター
Text:佐藤 知範
Editorial:賀川 真弥